【略略茶酔日記】鈴木ジェロニモ

「略略茶酔日記」は、茶葉を送ってその茶を飲んだ日の日記を書いてもらう、茶葉と日記の交換企画。茶葉の名前や説明は一切伝えず、自由に飲んでもらいます。日常の延長線上でカジュアルに茶を楽しむ「現代の茶の略」の実例を収集するシリーズです。


7月23日

 起きて、寝て、起きた。夕方からイベントがあるので会場の近くに早めに行って過ごそうか、暑いから家にいようか、考える。U-NEXTのポイントを映画クーポンに引き換えたが観たかった作品がクーポン対象外で使いそびれて、以降タイミングを逃がしていて、今日の昼間の映画に使えないかなと思って調べる。けれどちょうどいい時間のやつがない。じゃあ、と、外に出る理由がひとつなくなる。

 お昼ごはん、一食目という意味では朝ごはんなのかもしれないけれど、を家で作って食べよう。昨日、薬みたいにかじってもいいしスパゲッティーにしてもいい、と買っておいたトマトがある。それをかじるしスパゲッティーにもしよう。台所に行く。あ。そういえば。送ってもらったお茶、飲もうかな。今のお腹の感じは全然どっちでもいけますよって顔をしていて、もっとこう、食わなきゃやばいっす、ってときに食べたい気持ちがある。コーヒーやお茶を飲むと胃が刺激されてしゃびしゃびになって、空腹を強く自覚する印象があった。それをしよう、と思ってお湯を沸かす。お茶は3種類ある。1、少量の螺髪みたいなやつ。2、葉の多い紅茶みたいなやつ。3、ちょうどその間の、赤すぎず緑すぎず量多すぎずなやつ。一番予想できなかった3にする。

 普段コーヒーポットとして使っている透明な急須に網をセットしてそこに3の茶葉を落とす。茶葉の適量がいつも分からないから、とりあえず全部入れる。およそティースプーン2杯分くらいだろうか。蓋がぴいぴい言うほど沸騰したお湯をやかんからつううつううつううと注いでいく。茶葉全体がお湯に浸って、それよりもう少し薄めてもいいかな、と思う気持ちのままにもう少しお湯を足す。蓋をして蒸らす。急須の中のお湯が、古い文庫本のような薄黄色になる。しばらく蒸らすとその色が広告の麦茶のような、健やかな赤茶色に変わっていく。渋すぎてもあれだな、と思い、そこで茶葉を引き上げる。お気に入りのティーカップに注ぐ。さっきまでお湯だった水が、もうお茶ですって顔をしている。熱いので、うえの空気と一緒に吸う。ずずず。ほー。香りと味は強くない。飲んだ後に味が起き出してくるような、あくびのような味わい。飲み終わった後の口の中に、じわじわ酸味がくる。そこでようやく葉っぱが立ち上がる。予想通り胃がしゃびしゃびしてきて、よし、と思ってスパゲッティーを作る。

 コンロに火をつけると熱くなってきて、冷たいものが飲みたくなる。冷凍庫の氷を鷲掴んでさっきのカップのお茶に押し込む。氷が急いで溶けてくれてお茶が冷たくなる。薄くなったかな、と思って飲む。しかし、濃い。さっきより明らかに濃い。苦味と酸味と渋味がぎゅううとしぼられて鋭い。ムンクの叫びの顔のような、飛ぶために細くなった矢のような味。まな板の上にあったトマトを、せっかくだから包丁で切って食べる。みずみずしくて小さく甘い。さっきの冷やしたお茶のおかげでトマトの味がよく分かった。

7月29日

 これが一番お茶っぽいな、と思っていた2(葉の多い紅茶みたいなやつ)の茶葉を選んで淹れる。ふぁさふぁさ、からから、していてお湯を注ぐとそれがそのまま、大浴場に全身を放り投げるようにひろがる。湯がゆっくり、思い出みたいな茶色に変わっていく。飲むと、ああ、あっさりとした麦茶のような味。小学校の校庭に大股8歩で山頂に届く小さい山があった。それはどうやら城跡らしくて登るのを禁じられていた。その山を思い出す。登山禁止の山を想像上の脚で登るように、そのお茶は果てしなくはないけれど少し視線を上げてくれる、やさしい雲の香りがした。

 夜、ライブがあってそれに出演する。「くしゃみPK」というコーナーがあった。「キッカー」は鼻こよりを使ってくしゃみを試みる。「キーパー」はそのくしゃみを指定された方法で防ぐ。分かるような分からないようなルール。私がキーパーに選ばれた。指定されたのは、変顔。はい。変顔をして相手のくしゃみを防ぐ。はい。変顔でくしゃみを防いだことはもちろんないけれど、もうやるしかない。

 舞台上。相手が自らの鼻に鼻こよりをセットする。スタート。相手の視界に入って、変顔。顎を引いてそこの肉に顔をまるごとうずめる。逆向きの虹のようにどこまでも口角を上げる。右目で左目を見る。同時に左目で右目を見る。顔全体が大きなフクロウ柄の布のように、南国の甲虫の背中のように思えてくる。他の害獣から夜通し守ってくれる屋根。夢のうえに咲く花。変顔のなかで、私は守られた気持ちになる。遠くへ走るためにきつく結んだ靴紐みたいに、変顔を変顔のまま、ながく保つ。終了〜〜。告げられる。相手のくしゃみは出なかった。ので、私の勝ち。舞台上なので、一応ガッツポーズをした。けれど何のことか分からなかった。

8月6日

 ああ、と目が覚める。部屋の電気がついている。カーテンも開けっぱなしで夏の朝の光が、もう始めてますよ、って感じではじまっている。ジェルで固まったままの頭髪。あれ。ええと。枕元にスマートフォンを探る。7:54。ああ、そう、ですか。昨日そのまま寝てしまった。遅く帰ってきて、居酒屋で一応、みたいなものしか食べていなかったのでそうめんを茹でた、気がする。

 記憶を再生する。葱を刻んで、刻み始めると結構多いな、と感じるけれどもいいやこれ全部いっちゃえと刻み続ける。予想より多く出来上がった刻み葱をどんぶりに移す。左手と包丁でありがたい砂を集めるようにして、こういうときに包丁は左手を切ってこない。不思議。

 ぶわらぶわらと茹で上がったそうめん。気をつけてざるへ。氷水で締めてそのまま氷だけ残ったざるに、結果的にそうめんが盛られている。おちょこに最も近い形状の小さいお椀にめんつゆを張る。そこに氷も。氷が溶けるから気持ち濃くしためんつゆ。

 ざるの中から箸で水流を摘むようにしてそうめんを引き上げる。つゆに浸す。ずばっ。啜る。んーー。うまい。相当うまい。揖保乃糸。今までせこせこ買っていたスーパーのプライベートブランドのそうめんとは全然違う。いや本当に、全然違う、別の食べ物だと思う。刻んだ葱をわああっと入れて、ざっっ、と啜る。ひきわり納豆。パックを開けて一度納豆だけで混ぜて粘りを出した後、葱とからしとたれを入れて、パックの中で回すように混ぜる。たまに葱がパックをこぼれて、おっ、おい、と思う。自分に待て、をすることでざるの中に留めていたそうめんをお椀に移す。納豆をかける。ずばばばばばっ。ああー、冷たい速さが美味い。私は啜ることにおいて、速い生き物だと思う。思った。そこまで思い出す。

 一度起きたら起きてしまった方がいい。清い自分がそう言っていて転がるようにシャワーを浴びる。夏のぬるい水に昨日が剥がれて流れる。きれい。きれいだ。きれいになった。浴びた自分に確実にそう思う。同居人がまだ起きてこないリビングに裸で出る。ふぇーい。いつ入ってくるか分からない人の気配にびびりながら王様のように空間を纏う。コーヒー、あ、いや、お茶飲もう。最低限の布を着て、残っていた1(少量の螺髪みたいなやつ)の茶葉を急須に入れる。

 うすみどり色のくるっとした茶葉。お湯を注ぐと、のあーんとひろがる。湯がだんだん、拡大したべっこう飴みたいな薄茶色に変わる。茶葉のあたらしげな印象とは裏腹にそこから滲み出た湯には時間が多く含まれていそう。飲む。ほーん。湯が、味が、香りが、ぱっきりしている。芳醇な、とか、後味が、とかがほとんどない。そのお茶を飲む時間が編集画面からトリミングされたよう。きっちりと、お茶の味と香りだけが、時間を限定的に満たす。体の縦が意識されて、思いついたように洗濯をする。ベランダを裸足で踏むと砂浜みたいに熱い。杉並区の2階。ここもまた海岸なのかもしれない。

鈴木ジェロニモ

1994年栃木県生まれ。R-1グランプリ2023準決勝。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞最終選考。J-WAVE『GURU GURU!』コーナーナビゲーター。書籍に『水道水の味を説明する』(ナナロク社)。『鈴木ジェロニモの「耳の音」』(シンクロナス)連載中。2025年4月に楽曲「トマトのジュース」をリリース。ミツカン「冷やし中華のつゆ」Web CMに出演。

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送ったお茶たち

① 凍頂烏龍茶 清香
② 鉄羅漢 2号
③ 古樹生茶プーアル・景邁山 2016


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