【略略茶酔日記】小原晩
「略略茶酔日記」は、茶葉を送ってその茶を飲んだ日の日記を書いてもらう、茶葉と日記の交換企画。茶葉の名前や説明は一切伝えず、自由に飲んでもらいます。日常の延長線上でカジュアルに茶を楽しむ「現代の茶の略」の実例を収集するシリーズです。
4月25日
お茶は三種類送ってもらった。
まずは作業のまえに、白い髭のようなお茶をいれてみる。いつもはこのタイミングで珈琲をいれている。
中国茶といえば、ちいさなグラスでちびちびとのむイメージだったので、おじいちゃんの形見だよ、と最近もらったぐい呑みに注ぎ、のむ。とてものみやすい。草原を撫でる風。
最近、おじいちゃんや、おじさんが、たてつづけに亡くなった。だからだろうか。生きること、死ぬことについて、よく考える。ほんとうは死ぬことについてばかり考えている。けれど、死ぬことについて考えることは、生きることについて考えることと、どうちがうだろう。死んでしまったひとのことについて考えるとき、生きていてほしかった、と単純に思う自分のことをひっぱたきたくなる。生きているひとは勝手なことばかり言う。ひとりになりたい。ひとりでいるのに。
4月26日
夜、急に連絡がきて、渋谷にて友人と会う。〆切が重なっていて、ほんとうはそれどころではなかったのだけれど、ひさしぶりの連絡だったので、ちょっと心配で向かった。長い間会っていない友人に急に連絡をするとき、ひとはけっこう弱っていることが多いのではないか。
会うなり、友人に「太ったでしょう」と言われる。ぶすりと心にささる。たしかに、もう年末くらいから、ゆっくりと時間をかけて、7キロほど太ったのである。わたしはそれを気にしながらも、まだまだ太りつづけている。一生冬眠などをして、だれにも会わず、写真にもうつらず、外見を誰からもジャッジされないまま暮らすことができたらいいのに。
あながち呼び出されたわたしのほうが弱ってしまって、汗がでる。
友人は、やはり、弱っていた。
のんきだった友人のこけた頬は、みていてくるしい。でも、わたしにはどうしてやることもできない。くるしみというのは、だれにも渡せない、どうしようもないものだ。ひとの心に寄り添う、なんて言うけれど、あれはどうやってやるのだろうか。うまい手順でもあるのだろうか。すくなくとも、わたしにはできない。そう思うけれど、それで、ハイ、おしまいと、突き放すことも、できない。
ひとのために「なる」でもなく、「ならない」でもなく、その間の、くたびれた、うすぐらい場所に転がっている、ちいさな、くだらないアイデアを、せめて、ひとつでも拾いたい。そう思う。
つづけてのもうと思っていたのに、お茶をのまずに、就寝。
5月某日
ころころとした、とりわけ丸い感じのお茶を淹れて、のんだ(癖がなくて飲みやすい気がした)のだけど、あまり記憶が残っていない。のみ始め、早くいれすぎて、マグカップに入ったお茶はうすかった。作業をしているうち、あっという間に時間が過ぎて、つぎに飲んだときには、お茶が濃く出過ぎてしまった。このときはたしか、小説の改稿をしていて、ふわふわふわふわしていたのだ。小説を書いているとき、自分と、彼女と、彼と、過去と、願いと、現実と、言葉の連なりとが、ぐるぐるとしてくるしい。ぐるぐるしていると、他のことが手につかない。せっかくのお茶を、味わうこともできず、申し訳のない気持ち。
5月16日
何億光年ぶりに0時前に眠って、5時過ぎに起きる。窓の外は曇りで、ひじきのようなお茶を淹れる。うまい。自分に自分でお茶をいれることは健康に良い気がする。なんでもないことの積み重ね。なんだかしばらく落ち込んだまま生きていたけれど、ふつうの感じに戻ってきた。ふつうの感じと思うとき、わたしはかなり調子がいいのではないか、とも思う。それは改稿したものを、もう編集さんに送ったからだし、昨日ゆっくり休んだからであるのだけれど。
簡単な、ガパオライスをつくる。急須にお湯を足して、一緒に味わう。なかなかうれしい。お腹いっぱいになったら眠くなり、ベッドに戻る。5時間眠る。身支度をする。出かける。電車にのる。乗り換える。上野駅。ダウ90000の演劇公演「ロマンス」を観る。ふらふらと歩きたいきもちになり、よく知りもしない上野をふらふらふらふらふらふら歩く。ふらふらし疲れて、帰る。
小原 晩(おばら・ばん)
作家。1996年、東京生まれ。
2022年に自費出版でエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年に『これが生活なのかしらん』(大和書房)、2024年には同作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が実業之日本社より商業出版された。
送ったお茶たち
① 白茶・銀針白毫
② プーアル熟茶・景邁山 茶頭
③ 鉄羅漢一号