【略略茶酔日記】藤原麻里菜

「略略茶酔日記」は、茶葉を送ってその茶を飲んだ日の日記を書いてもらう、茶葉と日記の交換企画。茶葉の名前や説明は一切伝えず、自由に飲んでもらいます。日常の延長線上でカジュアルに茶を楽しむ「現代の茶の略」の実例を収集するシリーズです。


4月10日

盧を結んで人境に在り
而も車馬の喧き無し
君に問ふ何ぞ能く爾ると
心遠くして地自から偏なればなり

娘が生まれてから、休息がない。夫が見てくれている間は仕事をし、夫が寝たり家事をするときは娘を見る。あとの時間はそれを成り立たせるために湯船に浸かって布団で寝るだけなのだ。夫も私も、けっこうへとへとではある。しかし「もう無理かも」と思ったタイミングで、娘がキュートな笑顔を振り撒くので「でへへ」とこちらも心がほころび、いつもより丁寧にミルクをつくってやるのである。 自分の娘がこんなにかわいいはずがない。と、ラノベのタイトルのようなことを毎日思う。

赤ちゃんのお世話を夫と2人でやっていくために、私は毎日深夜1時に起きる。寝るのは夕方17時〜18時ごろ。夫と交代して、夫が起きる7時すぎまでは娘と2人きりで過ごす。娘はまだ生まれて一ヶ月なので自力で眠れない上に、3時間ごとにミルクを飲ませねばならない。最初は頑張って布団で寝かせようとしていたが、寝たとしても20分も経たないうちに泣いて起きる。「あたちを布団に置いたこと、後悔ちろよ」と言わんばかりに泣く。なのでもう諦めてずっと抱っこすることにしたのだ。そのほうがこちらも娘を恐れなくていい。それにまだ肌寒いから、胸のあたりにぴたっとくっつく娘がカイロみたいにあったかい。

娘を抱きながら、お茶をマグカップに淹れた。おっぱいをあげていたけれど2週間くらいでギブアップしたのでカフェインはがんがん飲んでいる。むしろ、カフェインを注入せねば生活が成り立たぬ。お茶に対する解像度があまりにも低いので「おいしい」という感想しかでてこない。いただいたものなのに申し訳ない。娘に気を取られていたらお茶の入ったマグカップをキッチンに置きっぱなしにしてしまっており、気づいたときにはもう冷めていた。が、関係なく飲む。作業場でPCを開き、新しいプロダクトの設計をする。胸のあたりでもぞもぞとした感覚を感じ、ああそういえば娘がいたんだった。と、気づく。私は、私の中に、まだ静寂と孤独がある。

4月13日

菊を采る東籬の下
悠然として南山を見る
山気日夕に佳なり
飛鳥相ひ与に還る

区役所の人がやってきて、育児についていろいろ聞かれる。妊娠してからというものの、役所の人たちがすごく優しくしてくれる。「ぜったいに親を鬱にさせない」という強い決意を感じるほど、「気分の落ち込みは!?」と、しつこいくらいに聞かれる。幸いにも私は夫と2人で子育てできており、泣き喚く娘を見ても「泣いた顔、かわちいね〜」といいながらほっぺたにチューするくらいには精神的な余裕もある。でも生活を俯瞰してみると、最低限の休息しかとれていないし、それが続くとこの余裕のある精神もだんだん窮屈になっていくのかもしれない。

スタンレーのタンブラーを買った。1リットルくらい入る大きなタンブラーだ。袋に入れた茶葉を放り込み、70度のお湯を注ぐ。スタンレーのタンブラーはびっくりするほど熱が冷めない。私は猫舌なので、スタンレーに100度のお湯をいれると半日経っても飲めないため、70度のお湯を注ぐことにしている。迫り来る生活を次々にこなすだけの日々だが、慣れない味が口から入って体に染み込むだけで、生きる気力が体の底から少しずつ湧いてくるような気がする。 1リットルの中国茶を1日中飲んでいた。中国茶ってスタンレーに淹れてガブガブと飲むようなものではない気がするが、生活者の私はこう飲むしかない。

生活に追われ、世俗を離れない私だけれど、うんこをしてスッキリした娘の表情が、私にとっての南山だ。

4月18日

先日、区役所からもらったシャラシャラと音が鳴るおもちゃを娘につかってみたら、すごく楽しそうにしていたので、ベビージムというものを買ってやった。布団の上にアーチ上に設置し、そこからいくつかのおもちゃが吊り下がっているものだ。寝っ転がった娘は、まず目の前についてある鏡に写る自分の顔に興味津々で、ゲラゲラ笑っている。その後、他のいくつかのおもちゃにも夢中になり、ベビージムの下に置いておけばしばらく一人で遊ぶようになった。なにがそんなにおもしろいのかと思うほどに、ずうっと夢中でいる。まだ手をうまく動かすことはできないので、バタバタしているだけだが、その手が偶然ガラガラに触れて、音が鳴る。娘は自分の行動と音が鳴ることが結びついてないみたいで、キョトンとしている。かわいすぎる。

夫に任せて、私はまた作業部屋に行く。仕事をしたり制作をする。画面を見つめて、メールを書いたり、設計をしたり、動画編集をする。隣の部屋から泣き声が聞こえて、夫がたいへんそうにしているから気になって様子を伺いに行く。特に私が行ったからといって娘が泣き止むわけではないのだが。 スタンレーを取り出して、またお茶を淹れる。間違えて100度で淹れてしまい熱くてまったく飲めない。腰が痛くてしんどくて、仕事も忙しくて。 ブッと、でかい放屁の音。「あーうえー」と娘が言い、夫が「おならしたかったのね」と笑う。おならをした娘はニコニコしていた。本当に、なによりです。末永くおならをしていく人生でありますように。

此の中に真意有り
弁ぜんと欲すれば已に言を忘る

―陶淵明「飲酒 其五」

妊娠と出産は、人間の中にある自然を感じることだった。いつのまにか資本主義の中でなるべく合理的な判断をするように努めて生きてきたけれど、どうにもコントロールできないことが自分の身に起きることで、私は社会を構成する一人であると同時に、自然の一部であると知ったのだ。 請求書を送って、冷凍食品を食べる。忙しくて、窮屈だが、寝ておならをするだけの娘がこんなにも愛おしい。ただ、今の私の気持ちを人に伝える言葉がない。言葉がないことも、私が自然の一部であることを強く肯定する証拠になるのだ。

藤原麻里菜

作家 / 無用発明家 /コンテンツクリエイター
株式会社無駄 CEO

頭の中に浮かんだ不必要なものをなんとか作り上げる「無駄づくり」を活動の中心に据え、YouTubeをはじめとするSNSで数多くの作品を発表。2013年にチャンネル「無駄づくり」を開設して以降、これまでに300個以上の"無用な発明"を制作。
「実用と無用」の狭間にある創造性をテーマに、国内外で個展・ワークショップ・執筆・教育活動を行う。
2022年に株式会社無駄を設立。Forbes Japan「世界を変える30歳未満の30人_30 UNDER 30」、青年版国民栄誉賞TOYP会頭特別賞など受賞歴多数。
NHK Eテレ「くっつけラボの新発明」など教育番組にも出演。

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送ったお茶たち

① 岩茶・鉄羅漢 一号
② 白茶餅
③ 台湾・杉林渓


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