【略略茶酔日記】ハル(郭晴芳)

「略略茶酔日記」は、茶葉を送ってその茶を飲んだ日の日記を書いてもらう、茶葉と日記の交換企画。茶葉の名前や説明は一切伝えず、自由に飲んでもらいます。日常の延長線上でカジュアルに茶を楽しむ「現代の茶の略」の実例を収集するシリーズです。


3月某日

お茶が届いた
日記を書いてほしい、と声をかけてもらったのはこれで二度目だった。

一度目は、あいちゃんからの「一日遅れの日記」のお誘い。

そういえば、茶酔を紹介してくれたのもあいちゃんだった。ボーナストラックのイベントで、「ハルちゃん、絶対好きだと思う」と声をかけてくれたのを覚えている。
こうして振り返ると、私が日記を書くきっかけは、なぜかいつもあいちゃんが運んできてくれる。
あいちゃん、ありがとうね。

台湾人は日常的によくお茶を飲んでいる、と思われがちだけれど、実はそうでもない。
少なくとも私は、お茶にそこまで詳しいわけではない。台湾人なのに?と少し意外がられることもあるけれど、茶葉の種類を語れるほどの知識もない。

でも、お茶の記憶はある。
子どもの頃、私は祖父母と一緒に暮らしていた。実家は、赤い瓦屋根の昔ながらの三合院で、中庭を囲むようにコの字型に建物が並んでいた。小学生の頃は、それが少し古くさく感じて、マンションに住む友達が少しだけうらやましかった。

実家の高雄はとても暑い。
私が住んでいた三合院は少し変わったつくりで、隣の家とゆるくつながっていた。
その間には大きな木が一本あって、その木の下は、近所の人たちにとって共通のリビングみたいな場所だった。

祖父はいつもそこでお茶を淹れていた。薄い麻のシャツを着て、片手でうちわをぱたぱたしながら、もう片方の手で熱いお茶を飲んでいる。近所のおじさんやおばさんがふらっとやってきて、気づけば一緒にお茶を飲みながら話していることもよくあった。暑いのに、どうしてわざわざ熱いお茶を飲むんだろう、と子どもの私はずっと思っていた。

時々、こっそり祖父の隣に座ると、
「ほら、飲んでみな」
と、小さな茶杯を渡してくれた。
祖父はそこに砂糖を入れていた。
「こっちのほうが甘くておいしいよ」

大人になってから、そのことを思い出すたびに、少し笑ってしまう。あれは祖父だけの飲み方だったのか。それとも、台湾南部ではよくあることだったのか。いまだによくわからない。

でも、そういう“よくわからないまま残っている記憶”こそ、案外長く心に残るのかもしれない。大人になってから、むしろ東京で暮らし始めてからのほうが、家でお茶を飲むようになった。

ここ数年は、友人を家に呼んで、火鍋をしたり、お茶を淹れたりする時間が好きだ。
ティーバッグのお茶なら一人でも十分だけれど、茶器を使ってお茶を淹れるときは、なぜか誰かと一緒のほうがしっくりくる。

子どもの頃は、祖父が何時間もお茶を飲んでいる姿を見て、「何がそんなに楽しいんだろう」と思っていたのに。今は、ちょっとわかる。

4月11日

ピクニック、という言葉が好きだ。口に出すだけで、少し気分が軽くなる。心のどこかが、ふわっと弾む。

この日は、元CINRA同僚でもあり、今はすっかり友人になった4人と武蔵野公園へピクニックに行く約束をしていた。
出かける前、水筒に何を入れるか少し迷った。茶酔さんから届いたお茶にするか、コーヒーにするか。キッチンで少し考えて、その日はケーキを食べる予定だったことを思い出し、最終的にアイスコーヒーを選んだ。

いまはお茶なのか、コーヒーなのか。
意外と、身体はちゃんと知っている。

数日後は愛ちゃんの誕生日だったので、むっちゃんと私は一時間早く武蔵小金井で待ち合わせをして、こっそりホールケーキを買いに行った。ケーキを注文したあと、店の隅の小さな席に座って、愛ちゃんの顔写真と、本人が好きなケンティーの写真を切り抜く。私はハサミ係、むっちゃんはストローとテープ係。まるで放課後の図工室みたいだった。一時間くらいかかると思っていたのに、十五分も経たないうちに完成してしまい、「早すぎない?」と二人で大笑いした。出来上がった小さな顔たちを手に、「これ、ケーキの上に飾っても大丈夫ですか……?」と店員さんに聞くと、ケーキ屋さんの女性はやさしく笑って「もちろんです」と言ってくれた。

15時集合のはずだったのに、全員が揃ったのは結局16時過ぎ。でも、こういう少しルーズな時間も嫌いじゃない。公園でケーキを囲んでお祝いした。

愛ちゃんは淡いレモンイエローのロンTを着ていて、手に持っていたGong chaの季節限定ドリンクも黄色。ケーキも黄色。その日の主役のまわりだけ、春みたいなやさしい黄色でできていた。みんなで笑いながらケーキを食べている時間が、なんだか好きだった。クリスマスより、お正月より、私は友達の誕生日が好きだ。その人がその日にこの地球に降り立ったのだと思うと、それだけで「おめでとう」と伝えたくなる。

気づけば18時を過ぎていて、空は少しずつ暗くなっていた。近所の子どもたちが川沿いを自転車で走り、ライトだけがぽつぽつと光っている。家へ帰っていくその列を見ていたら、E.T.のワンシーンみたいだと思った。現実なのに、少しだけ映画みたいな夕方だった。

駅へ向かう帰り道、偶然立ち寄った中村文具店で、みんなそれぞれ文房具を選んだ。私は表紙に少し凹凸のあるミッキーのノートを買った。来週会う友人への小さなプレゼント。

そのあと、みんなでDenny'sで夜ごはんを食べ、映画の話をしていたら、あっという間に時間が過ぎた。これで長い一日が終わると思っていた。でも、なぜかその日は、まだ続きがあった。

西荻窪に戻った頃には、もう22時を過ぎていた。ちょうど近所に住むきんちゃんと真さん夫婦も、初めての台湾旅行を兼ねた台湾のブックフェアから帰ってきたばかりで、駅前で合流し、そのまま飲み屋で一杯だけ飲むことになった。

二人は都築響一さんのメールマガジン「ROADSIDERS’ weekly」に関わっていて、今回は都築さんと一緒に台湾へ行っていたらしい。なんだかいつも身軽で、羨ましい。

途中から、これまた近所に住むKayちゃんも合流した。
「台湾のブックフェア、日本よりずっとエネルギーがあって面白かった」
そう話す二人の熱量を聞きながら、真さんの前髪がやけに短いことに気づく。聞けば、台湾で入ったローカル食堂の向かいにあった昔ながらの美容院で、その場の勢いで髪を切ったらしい。私はたぶん、旅先でそんな大胆なことをする勇気はない。

その流れで、みんなで私の家へ行くことになった。気づけば深夜1時を過ぎていて、かなり酔っているはずのきんちゃんは、戦争のことや出版業界のことを真剣に話していた。

あんなに酔っているのに、どうしてそんなに真面目な話ができるんだろう。毎回、なんだか愛おしくなる。隣で真さんは何度も「もう眠い」「そろそろ帰ろう」と言っていた。二人は翌朝5時に家を出て空港に向かう予定なのに、きんちゃんは「あと少しだけ」と言いながら、なかなか帰ろうとしない。そのやりとりを、私は横でずっと笑いながら見ていた。ようやく二人が帰ったあとも、Kayちゃんはそのまま残って、気づけば深夜2時になっていた。

私は急にお茶が飲みたくなって、夜中の台所でお湯を沸かした。朝から何人に会って、どれくらい話したのか、もうよくわからない。一日が妙に長くて、でもずっと楽しかった。今日だけ、三日分くらい生きた気がする。

ハル(郭晴芳)

台湾・高雄出身。留学をきっかけに来日。気づけば、日本で過ごした時間が台湾で暮らした時間をもうすぐ追い越しそう。カルチャーWEBメディア「CINRA」を経て、現在はトラベルカルチャー誌「TRANSIT」に所属。旅、文化、人の記憶にまつわる企画を手がける。

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送ったお茶たち

① 台湾・杉林渓
② 白茶・銀針白毫
③ ポルトガル・アールグレイ


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